空飛ぶ親指シフト
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親指シフト博物館

親指シフトは新JIS配列の足音を聴くか

親指シフトキーボードとJISキーボード

1970年代以前

いきなりですが、タカさんは「漢字テレタイプ」ってもの知ってますか。

タカさん

なんすかソレ

よかったです。1970年代以前に、いわゆるギョーカイのなかで使われてた機器なので、「よく知ってます」、なんて言われた日にゃあこのサイトも店じまいするところでした。

私もよかったです。

漢字テレタイプっていうのは日本語ワープロの前身、などともいわれているのですが、かんたんにいうと漢字かな混じりの文章を遠隔に送るための装置です。

1950年代に朝日新聞社と岩手県の新興製作所が共同で開発して、日本語の入出力、そして通信する手段として報道機関や官公庁などでも広く使われていた、と言われていますね。

この漢字テレタイプのキーボードが「多段シフト方式」とわれているものです。

タカさん

多段ですか。柔道となにか関係があるのですか。

関係はいっさいございません。「多段シフト方式」のキーボードがどんなものかは見てもらった方が早いかと思いますね。

あくまでも簡略化したイメージ図ですが、

これです。

タカさん

なんすかコレ

今日のタカさんは語彙が……。

多段シフトキーボードのイメージ図
多段シフトキーボードのイメージ図

192の文字キーと12のボタン(つまりシフトキー)によって全部で2304字を直接入力できたということです。

恐ろしいのでイメージ図からは省きましたが、ひとつのキーに12の文字(漢字など)が刻印されていたようです。

漢字テレタイプでは穴のあいた鑽孔テープというものを使って遠隔通信していたのですが、この鑽孔テープで表現できる文字数の限界が、2304字だったということです。

ま、

会社で事務仕事をしようと思ってパソコンの前に行ったときにこんなキーボードがあったら、ちょっと引きますよね。

タカさん

会社を早退したくなりますね。

でも、「多段シフト方式」キーボードにかんしては、1970年代に東芝のワープロ開発部隊がこのキーボードの操作を見学して、予想外の入力速度にとても感心した、というような逸話もあるんです。かなり実践的だったようですが、確実に言えるのはプロのためのプロの道具だったということですね。

カナタイプライタ

これとはべつにふつうの日本語キーボードで目にする「カナ」配列のタイプライタも昔からありましたが、こちらのタイプライタでは漢字を入力することができませんでした。

カナタイプライターの配列図
カナタイプライタ配列「JIS B 9509」
タカさん

なんとなく見覚えがありますね。

ところが1970年代になると漢字かな交じり文をプログラムによって作成する技術が実用化されはじめました。

入力するのはキホン「かな」だけで、漢字は変換して出す、ということが可能になってきたのです。だから「かな」配列のキーボードは現在も私たちの身近にあるのに対し、漢字を直接入力するような方式は一般的ではなくなってしまいました。

タカさん

それを聞いてほっとしましたね。ローマ字入力できなかったら仕事になりませんので。

その話をしましょう。

新しい入力方式

1970年代になって実用化されたのはかな漢字変換の技術だけではありません。機械式のタイプライターではなかなか実現困難だったあたらしい「かな」の入力方式が開発されたのです。

その代表的なものをひとつだけあげるとするなら、それは「プリフィックス・シフト方式」だということになるかもしれません。

タカさん

「かな」配列に代わる代表的な入力と言えば、やっぱりローマ字入力だと思いますけど。その、プリプリなんとかじゃなくて。

プリフィックス・シフト方式です。名前はどうでもいいんですが、とりあえずプリフィックス・シフトを説明しますね。

従来の機械式タイプライターでは、シフトキーを押しているあいだ任意の文字キーを押下すると、単独で押したときとは違う文字を打ち込むことができました。でも1970年代になって半導体を集積化する技術がすすみ、それ以前はむずかしかったことが、わりあい低コストで実現できるようになりました。

たとえばメモリーです。

タカさん

メモリーってそんなにすごいことだったんですか。

電卓を買おうと思って家電品売り場なんかに行くと「メモリー機能付き」みたいな文句がドヤ顔で広告に載っていた、そういう時代です。

メモリー機能を利用して情報処理、みたいなことが事務機器などでも可能になっていったんです。

これを「かな」の入力に使うと、シフトキーを押して、押したシフトキーを離したあとでも、押したという情報を生かしておいて次に押したキーにシフトを効かせる、みたいなことができるわけです。

プリフィックス・シフトの代表例、とでもいうべき方式がローマ字入力になるかと思います。

タカさん

アイヤー、ローマ字入力はローマ字入力であって、そのプリプリなんとかじゃないと思いますけど。そもそもシフトしてないし。

プリフィックス・シフトです。たとえば子音キーのひとつである[S]キーを押せば“S”という文字が出てきますし、[S]キーを押しっぱなしにすればキーリピートするので、これがシフトだとは思えないですよね。

ふつうのシフトキーを押したときのように[S]キーを押しても何も反応しないとか、キーリピートを表に出さないとかはできるんですが(ちなみにふつうのシフトキーも内部的にはキーリピートしています)、子音のキーは多いですから表示なしにしてしまうとかえって操作しにくいんじゃないでしょうか。[S]キー単独で出したいときだってあるでしょうしね。

タカさん

でもふつうのシフトキーだったら、シフトキー押しっぱなしで[J]キー[H]キーって押したらそれぞれにシフトが効いて、大文字の“J”と大文字の“H”がつづけて出てくるはずですよね。ローマ字入力でそれはできないんじゃないかと思いますけど

それはプリフィックス・シフトというより、どちらかというと、古典的なシフトキーの機能ですね。もちろん古典的なシフトとプリフィックス・シフトを両立させることに矛盾はないし、可能なんです。どちらも打鍵順序で入力文字が決定しますからね。

そこでタカさんにお聞きしましょう。たとえば[S]キー押しっぱなしにして「し」とか「す」とか入力できたらうれしいですか」

タカさん

おおむね、うれしくはないです。

[S]キー押しっぱなし入力できない、それがたぶん理由でしょうね。ただたんに需要がない、だから対応していない、それだけの話じゃないんでしょうか。

あらためて、ですが、プリフィックス・シフトというのは先に押したキーが次の文字を修飾する(シフトをかける)というものです。そういう意味ではローマ字入力(の内部動作)はまぎれもなくフィックスシフトなんですね。

さて現在、日本語入力の標準はローマ字入力ですので、ブリフィックスシフトこそが標準の入力方式だと言えますね。

それにたいしてローマ字入力が実用化された1970年代の後半に、それとはちがう方法も開発されました。

タカさん

それが親指シフトだ、という方向に話を持っていきたいわけですね。

すばらしい、よくわかりましたね。

タカさん

親指シフトのサイトですから。

親指シフトキーボード

同時打鍵はどうよ?

ブリフィックスシフトというのは言い換えると逐次打鍵になるのですが、それにたいして異なるキーを同時打鍵したら果たしてどうか、ということを考えたのが親指シフトキーボードを開発した富士通のプロジェクトチームでした。

詳しくは親指シフトキーボード誕生編であらためて取りあげていく予定ですが、そもそもは、親指シフト開発チームのリーダーだった神田泰典さんがかつてアメリカに渡ったとき、プロのオペレーターでもなければ職業作家でもないごくふつうのアメリカ人がタイプライターを打っているのを見て、感銘を受けたのが発端なのだそうです。

おなじようにごくふつうの日本人が、考えながら自分で文章を「書ける」キーボードを作りたい。誰もが使えるものを。紙と鉛筆のつぎにくるものを。

このような考えのもと生まれたのが親指シフトキーボードなんだと神田泰典さんは説明しています。(参考、bit1982-12「共立出版」等)

タカさん

親指シフトというと一般的にマニアックなイメージがありますけど、本当はそういうものではなかったんですね。

少なくとも初期の親指シフトはまったくそういうものではなかったですね。

さて、

そこで考えたのが同時打鍵、です。「かな」を複数回に分けて打ち込むより、一回の感覚で打ち込めた方が自然に感じられるのでは? というところからスタートしたのですね。

なので開発時のポイントは、異なるキーを同時打鍵したとき果たしてそれが(ふつうの人にとって)自然にかんじられるかどうか、考えながら「書く」道具になりえるか、ということでした。

じっさいに実験用の装置を試作して、あらゆる指の組み合わせで同時打鍵してみたそうです。

その結果が、これです。

情報処理学会より
タカさん

ちょっと意外。同時打鍵は不自然だという結論だったんですね。

でもたったひとつだけ例外を見つけました。

おなじ側の、親指とそれ以外の指の組み合わせならば、自然な感覚で同時打鍵できることに気づいたんですね。

おなじ側の親指と他の指の同時打鍵だけはシンクロした動きになって自然に感じられる。なぜか。

手を握ったり開いたりするときの筋肉の動きが親指とほかの4本指で対抗するようなかたちになり、それはちょうど猿が枝を掴みながら木に登るときの手の動きそのもの。その遺伝子を受け継いでいるヒトだからこそ、自然な動作として感じられるのではないか。

とそんな趣旨のことを神田泰典さんは書いておられますね。(参考・「コンピュータ―知的「道具」考」 『NHKブックス』 )

私はこれを「親指シフト猿起源説」と名付けています。

タカさん

意味がよくわかりませんね。

完成した親指シフトキーボードを1979年のデータショウに参考出品したあと、神田泰典さんご自身が約1年半ほど実際に使ってみて、その使いやすさに自信を持つことができたので製品化したのだということです。

日本語ワードプロセッサの時代

1970年代後半に日本語ワードプロセッサの時代がやってきました。

1977年のビジネスシヨウにシャープが日本語ワードプロセッサの試作機を出し、1979年にはWD-3000として商品化しました。入力方式はペンタッチ式のものでした。

1978年、そのシャープに一歩先んじて東芝が日本語ワードプロセッサ初の商品化に成功しました。JW-10に備わったキーボードは現行JIS「かな」配列と50音配列を選択できたようです。

そして1980年、日本語ワードプロセッサ・OASYS 100とともに登場したのが親指シフトキーボードです。

NICOLA規格書(日本語入力コンソーシアムの公式サイトより)によると、1981年にはOASYSが、つまり親指シフトキーボードが市場でトップのシェアをしめたようです。さらにはその使いやすさを評価する記事の刊行誌や、書籍などがつぎつぎと出版されるに及び、その後は文筆家などを中心に熱心な使い手を増やしていった、という経緯があります。1983年ころまでは、OASYSがワープロ専用機の市場でトップのシェアを占めていたようです。

1980年代、ワープロ専用機の全盛時代には家電量販店におもむいて親指シフトキーボードを目にしないことはない、という状況がありました。

OASYS100Gのレイアウト

キーボードなど一度も触ったことのないごくふつうの人たちがある日思いつきで親指シフトを始めてなんの問題なく仕事をすすめることができた、そういう時代でもありました。

その一方で、親指シフトキーボードは富士通が特許を取得した独自キーボードでもあったのです。

そのため、東芝、シャープ、キャノン、日立など他社の製品で親指シフトキーボードが採用されることは当然のようにありませんでした。多勢に無勢、親指シフトキーボードは富士通一社しか採用していないという状況がつづきました。

OASYSしか使えないから(親指シフトキーボードの購入は)やめた方がいいですよ、と各社の営業マン、当時の家電量販店の販売員さんたちはそんな決まり文句を口にしていた、などともいわれています。

それに加えてもともと富士通という会社自体が官公庁や法人を販路とする企業であって、個人向けの商品にかんしてはほとんどノウハウが蓄積されていなかった(ようするに一般にあまり知られていなかった)という事情もあり、個人向けの市場では苦戦がつづくことになります。

JIS「かな」か、親指シフトか

いつのころからか、日本語ワードプロセッサOASYSにもしだいにJIS配列のキーボードが増えていきました。

OASYSのJIS配列図
OASYS、JISキーボードのイメージ図
( 右端の「後退」キーを見て、泣くがいいさ)

もともと初期のOASYSでもJIS配列のキーボードを選択することができたようなので、事実関係からすれば富士通が方針変更したわけではないし、親指シフトに見切りをつけたわけではありません。

でも店頭で販売されるOASYSにもJIS配列のキーボードが目につくようになると、けっきょく富士通は親指シフトに自信もなければ強く推す気もないのではないか、やっぱりJIS規格に合致したキーボードでなければ。

一般消費者がそういう目で見はじめたのも無理はなかったかもしれません。

いずれにしても、親指シフトキーボードはやがて少数派に転落していき、日本語入力の主流の座を現行JISかな配列へと明け渡すことになります。

その一方で、親指シフトキーボードの配列は、現行JISかな配列と比べていくつかの点で有利なのだとも言われていました。

  1. 一番上の数字のある段には「かな」が配置されてなく、逆にホームポジションのある中段には使用頻度の高い「かな」が割り当てられている。
  2. 現行JISかな配列では右手小指を使う頻度がけっこう高いのに比べ、親指シフトでは小指を使うことが他の指より低くなるよう「かな」が配置されている。
  3. それに加え句読点などの区切り符号を別にすれば「かな」入力中は小指がほとんど動かない。

などがメリットとして挙げられていました。

親指シフト配列の特徴

日本語入力の主流は現行JISかな配列だとしても、親指同時打鍵(同手シフト)を基調とする自然な操作性、そして後退キーも含めた効率的なキー配置と相まって、親指シフトキーボードの使いやすさに魅了された熱心な使い手が増えていく、そういう状況もありました。

ですが……、

天上界では、このような状況を好ましくないとする見方もあったのです。

JISというオカミの決めたもの

1980年代、ワープロ専用機の市場拡大にともなってワープロ関係の書籍が雨後の筍のように出版されましたが、そのなかでも良心的な書籍の一冊と言えるのが木村泉さんが著した「ワープロ徹底入門 」(岩波新書)です。

木村泉さんはプログラミングの世界では名著と言われる「ソフトウェア作法」Brian W.Kernighan(カーニハン) ・ P.J.Plauger (共立出版)を翻訳された方としても、「知る人ぞ知る」的な存在の先生です。

この書籍のなかにOASYS(親指シフト)キーボードに言及している箇所もあります。

引用します。

「ワープロ徹底入門 」(岩波新書)より
タカさん

ちょっとカッコいいですね。

たしかにこれだけ読むと、

美談

のように受け取れます。

でも当の富士通にとって美談といってすますことができる話では、とてもなかったと思いますね。

前述のように1970年代くらいまでは富士通が個人向けの商品を扱うことなく、法人や公共団体のみを相手に事業をおこなっていたからです。官公庁、公共団体というのいわば最大級の販路といえたでしょう。美談どころか、虎の尾を踏んでしまった観があったかもしれません。

とりわけ現在の経済産業省と比較して、かつての通商産業省の法人に与える影響力は絶大だった、などとも言われています。

「JISというオカミの決めたものがあるのにそれ以外の」親指シフトキーボードは、ほぼ当然のように公共団体から拒絶されることが多かったそうです。

1988年5月22日に書き込まれた神田泰典さんの発信です。

時代は前後しますが、通産省主導による新しいJISキーボードの基礎研究は、すでに日本語ワードプロセッサ草創期から始まっていたのでした。

この続きは「新JISキーボードの時代」で