空飛ぶ親指シフト
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試験に出る親指シフト

親指シフトはいかにして愛を伝えるか

開発者が教えてくれる親指シフト

ようこそ、親指シフトマニアの迷宮へ。

「試験に出る親指シフト」、今回はこれまで書いてきたことの復習編として、

あらためて

親指シフトって何?

みたいなことを書いていきたいと思います。

じつはShiftじゃなかった親指シフト

「親指、シフト一回だけの法則」というものがあります。

親指シフトでは、一度押したシフトキーが文字キーにたいしてシフトをかけらるのはただ一回だけになります。

NICOLAでいうと「あ」と「な」はどちらも左サイドのシフト側に割りあてられた「かな」です。でも、「~なあ」と打とうとしたとき、左親指キーを押しっぱなしにして「な」と「あ」をつづけて打つことはできません。「な」と打ったあとに一回親指を離さなければならないのです。

これが「親指、シフト一回だけの法則」です。

え? それ不便じゃね、と思いませんか。

シフトキーを押しっぱなしにして、「~なあ」と打てた方が便利じゃないか、そう思いませんか。

しかし残念ながらできません。この点が親指シフトのウィークポイントといえば、ウィークポイントかなあと思います。

それはともかく

古典的なShiftキーならキー押しっぱなしにして文字入力できるのに、親指シフトではできない。これが何を意味するかお分かりになりますか。

そうです。親指シフトってじつは

Shiftじゃなかった

ということですね。

シフトっていったくせにウソつきー、

と、私に言われても困ります。

なぜ親指シフトと名付けたのか、ほんとうの理由は開発者でないとわかりません。

しかし、おそらくさいしょに学会で発表した1970年代後半、当時はキーボードじたいが一般的でない時代だったので、一番理解が得られやすい用語としてたんに「シフト」という言葉を付けたのではないかと思います。

もし、これをただのシフトではなく、たとえば

親指・ツーウェイ(相互)フィックス・シフト

などと言ったら現代でも友達失いそうな勢いですが、

キーボードそのものが非日常だった1970年代後半に

親指・ツーウェイ(相互)フィックス・シフト

などと学会で口走ろうものなら、おそらく80秒後には会場から人がいなくなっていたことでしょう。

というわけで親指シフトキーボードという名称は正確ではないものの穏当であると、個人的には思います。

ですが、

シフトではないにもかかわらず「親指シフト」と名乗ってしまったばかりに、

おかしいじゃないか、シフトキーなのになぜ押しっぱなしで文字が打てない? 不便じゃないか、という意見が1980年代よりあったようです。

しかしこれは親指シフトキーボードの設計方針でもあったのです。

親指シフトの生みの親・神田泰典さん

富士通の神田泰典さんは日本語ワードプロセッサOASYS、そして親指シフトキーボード開発チームのリーダーだった方でした。

神田泰典さんは良心的な技術者でもあり、親指シフトキーボードの設計からはじまって広い意味で日本語情報処理の黎明期における文献などを、自らのサイトで画像やテキストの形で公表しておられました。

神田泰典さんのサイト自体は2023年現在はもう閲覧することができないのですが、幸いなことにもとの論文が掲載された誌名なども併記しておられたので、ネット上で、あるいはほかの手段で(例えば国立国会図書館などを利用して)確認することも可能です。

以下で引用するのは昭和54年(1979年)情報処理学会第20回全国大会で発表され、神田泰典さんを筆頭に富士通・親指シフトキーボード開発陣の連名のある論文・「親指シフトキーボード」です。

論文には基本的な「かな」入力方法について説明、つまり文字キーを単独で打ち込むか、あるいは文字キーと同じ側の親指キーを同時打鍵(同手シフト)して文字を打ち込むか、などの説明のあとで、「シフトキーの打鍵のタイミング」についての記述があります。

引用します。

情報処理学会より

「親指シフトキーボード」昭和54年(1979年)情報処理学会第20回全国大会より

1979年といえば日本語ワードプロセッサOASYS100及び親指シフトキーボードが発売される前年ですので「押え続けを無効にした」ことが親指シフトキーボードの設計方針であったことがわかります。なぜ「押え続けを無効にした」かといえば「誤打鍵が生じることが多い」からである、と。

どういうことでしょうか。

試験に出る親指シフトのページをすでに訪れている方なら、答えをご存じかと思います。

親指シフトは文字キーの先行入力を許容するから、ですね。

はい、それではいつものように、決め手のあの言葉を打ち込んでいきましょう。

あい

いかにして愛を伝えるか

NICOLA配列で「愛」(あい)という文字を打ちこみます。

「愛」

大切ですね。

という話は置いといて

まずは復習です。NICOLAで「あ」は左親指キーと[S]キーの同時打鍵、そして「い」は[L]キーの単独打鍵でした。

具体的なレイアウト

いつものように[S]キーがちょっとだけ先に押された場合を考えてみます。直後に左親指キーが押されて同時打鍵状態になりました。

「あ」打鍵時の状態

この状態で[S]キーだけが離されたとします。

するとそのタイミングで「あ」の入力が確定します(確定したとします)。けれど押された左親指キーが離されないうちに、つづけて[L]キーが押されたとしたら、どうでしょうか。

「あ」の直後に[S]キーを押下した時の状態

[L]キーが押された時点でふたたび同時押し状態になっています。

上図のような例は、親指シフトに慣れてタイピングが速くなってくるとけっこうふつうにありえる現象です。

でも、同時押し状態になったとしても「親指、シフト一回だけの法則」が適用されて、左親指キーと[L]キーの同時打鍵が成立することはありません。

そのまま「い」が入力できます。([L]キーが離されないうちに右親指キーを押したりしなければ、の話ですが)

つまり

「あい」です。

よかったです。

どうやらこれで無事に愛を伝えることができそうです。

そのあとのことはわかりませんが。

さて、それでは「親指、シフト一回だけの法則」を外して、シフトキーの押しっぱなしを有効にしたらどうなるでしょうか。

ほんとうは単独打鍵になるはずの[L]キーと左親指キーの同時打鍵が成立していまい、「ぽ」になってしまいます。

つまり「あい」ではなく

「あぽ」

「あぽ」と誤入力

危険です。

これではうまく愛は伝わりそうにありません。

もしかしたら

ジャイアント馬場さんには伝わるかもしれません。

でも、私はジャイアント馬場さんではないです。

「親指、シフト一回だけの法則」が親指シフトキーボードの設計思想だということが理解していただけたでしょうか。

************************************

神田泰典さんを筆頭にした当時の富士通技術陣の判断、

それは

シフトキーを押しながら文字入力できるといった表面的な便利さを採って、親指シフトとしての安定度、精度を犠牲にしてしまったら本末転倒である、

ということだったと思います。

いま打った文字キーはシフトありなのかシフトなしなのか、これをきちんと峻別することが親指シフトの根幹なのだから、道具としてはそちらを優先しましょうという考え方です。これはまったく正当だと思います。

道具としての根幹を崩してしまうと、

ーここを過ぎて趣味の門

「よいご趣味をおもちですね」の世界になってしまいますね。

ただ、ここで改めて親指シフトキーボード開発者、神田泰典さんの論文を引用したのは

「親指シフトとは本来こういうものですぅー」

ということを言いたかったわけではありません。

そうではなく、親指シフトだろうとローマ字入力だろうとJISかな配列だろうと、

もっといえばアメリカ人が英文をタイプするときであろうと、ほんとうはすべてに共通する話です。

つまりキーボードを打つときに

わざわざミスタイプを誘発する環境に近づける必要は、1ミリもない

ということです。

たとえば

[A]キーのつもりで打ったとき

「うーん、だいたい[A]になるんだけれど、場合によっては[B]かもね」

と言われたら、ダイビングした姿勢のまま床の上を滑りますよね。

そういうキーボードがあったとしても、特殊な趣味をお持ちの方とか、おもちゃとして使う方を別とすれば、仕事道具としてはあまり身近に置いておきたくないですよね。

これを親指シフトの側に引き寄せていうと、

キーをシフトなしのつもりで打ったとき、

「うーん、だいたいシフトなしなんだけれど、場合によってはシフトありかもね

と言われたら、やっぱり床の上を滑るわけです。

連続シフトを試してみた件

ネット上ではシフトキーの押しっぱなしを前提とした「かな」配列(といっても私が知っているのは「飛鳥」くらいですけど)が提唱されていたり、その配列を実装するソフトやアダプターも存在します。私も使わせてもらったことのある配列変更ソフトの「やまぶき」や配列変更アダプターの「かえうち2」なんかがそうですね。

「かえうち2」(左側)はふつうにNICOLAとして使うには十分な感じがしました。でも、わたしの(超)個人的な用途には合わないようだったのであまり使い込むことはなく、現在は疎遠になっています。

だいぶ前の話になりますが、連続シフト、というか、シフトキーの押しっぱなし入力を有効にするとどんな感じになるのか、NICOLAで試してみたことがあります。

使用感をいうと、わりと短めの文章をゆっくりと打つぶんにはふつうのNICOLAとあまりかわらないなあ、という印象を持ちました。このあたりは作者の方の工夫と努力に敬意を表したいと思いました。

でもある程度まとまった文章をポンポン打ちこむと、やはりふつうのNICOLAでは絶対にありえないような誤判定(シフトしていないのにシフトがかかってしまう「あぽ」現象)にけっこうな頻度で遭遇し、あわてて設定を元に戻したことがあります。正直これは親指シフトとは違う世界だなあ、という実感でした。

結論をいえば、いまから半世紀近くまえ親指シフトキーボード開発陣がくだした判断はやはり的確なものだった、ということですね。

つまり

シフトキーの押しっぱなしによる文字入力は少なくともNICOLAではアウト、どうしてもしたいのならあくまでもご趣味としてどうぞ、みたいな世界です。

もちろんこれは、技術的に不可能という意味と違います。

技術は進歩します。現状では親指シフトと連続シフトの両立は不可能ですが、将来は可能になるかもしれませんよね。

もしかしたら連続シフトを忖度する生体センサー搭載のキーボードが出てくるかもしれません。

素晴らしいです。

では仮に、連続シフトを忖度するキーボードが出てきたとしましょう。そういうキーボードを使えば快適にタイピングできるのでしょうか。

いいえ、そうは思いません。

JIS「かな」を超えて

このサイトでしばしば取り上げているのですが、1980年代に、新しいJIS規格の「かな」配列が通産省により制定されたことがあります。

JIS86配列(JIS C 6236)です。

1986年、当時の通商産業省・工業技術院が従来のJISに変わる新しい「かな」配列として制定したのでした。

通称”新JIS配列”と呼ばれるキーボード、配列を考案したとされる渡辺定久さんという方は次のようなことを書いています。

新JIS配列はプリフィクス・シフト方式(原文ではプレフィックス形シフトキー)を採用した。

従来のJIS「かな」におけるシフト方式にはおおきな問題があると考える。

従来の方法でシフト側の文字を打とうすると、シフトキーを押しながら文字キーを打鍵する必要があるため、単打のときとは違う操作が必要になってしまう。

言い換えれば、シフト側の文字を打ち込もうとする度に入力スタイルが切り替わることになる。

それでは作業に支障が生じるので効率のよい文字入力はできない。新しい配列ではシフトキーを通常の文字キーとおなじように扱えるプリフィクス・シフト方式を採用した。

これによりシフトキー押し下げのときも通常の文字キーと同様の操作性になり(つまり入力スタイルが変わらないため)、作業を滞ることなくタイピングを進めることができる。

原文どおりではありませんが、趣旨としては上のようなことを書いておられます。(参考・仮名漢字変換形日本文入力装置用けん盤配列について「教育と情報」(第一法規出版)より)

ようするに単打のときとシフト側の文字を出すときとで、入力スタイルが違ってしまうのはよくないでしょ、ということですね。

この考え方そのものには私も賛成です。

なので(JIS86配列が普及することはなかったのですが)広義のプリフィクス・シフト方式とでもいうべきqwertyローマ字入力が日本語入力の標準になりました。

ということであらためて、連続シフトはどうでしょうか?

ひとつの文章のなかで、以下のような感じで入力スタイルが変化するタイピングを想像してみてください。

| → シフトなし ← | → 連続シフト ← | → シフトなし ← |

シフトなしから連続シフトへ、連続シフトからシフトなしへと入力スタイルそのものが切り替わっていきます。

実際にはこれに加えてシフトの単打も加わるのでしょうが、それを度外視しても「入力スタイル切り替えのコスト」みたいなものがひとつの文章のなかで頻繁に発生するわけです。

ボクシングの井上尚弥選手のように並外れた反射神経をお持ちの方ならストレスなくタイピングできるかもしれません。でも、ふつうの神経の人であればほぼ仕事にならないと思います。

これは「書く道具」ではなくて、どちらかといえば「タイピングゲーム」の世界ですね。

趣味ならば、オーケーです。思う存分その趣味を楽しんでください、という話になるのですが、

もしも

「ローマ字入力は効率が悪そうだから、作業時間を短縮するため、新しい入力方式や配列を学習しよう」

などと考えてこの手のタイピングゲームにハマると、人生の貴重な時間を浪費するだけに終わる可能性、大です。

気をつけましょう。

夢の中へぼくを連れて行って。
きれいな花咲くところへ。

も悪くないのですが

仕事で日本語入力を考えているなら、お花畑から出ることを考えてもいいかもしれません。

黄色ライン

ですが本当は、「タイピングゲーム」の世界へ通じる扉を開けてしまったのは、NICOLAでした。

「愛」が伝わらないもうひとつの場合

ここで話は改めて変換キー共用型NICOLAです。

またその話かょ、と言われてしまいそうですが、じつは今回は復習編であると同時に、「レトロなキーボードが最後まで生き残った理由」に始まる、変換キー独立型(OASYS方式)・変換キー共用型NICOLAくらべて見ましたシリーズ3部作

(いつからシリーズになったんだ)

の最終回でもあるのです。

さて、

「親指、シフト一回だけの法則」が親指シフトキーボードの設計思想であり、それを外してしまうと「愛」がうまく伝わらないことが確認できたところで、

じつをいうとOASYS(変換キー独立型)では「愛」が伝わるのに、変換キー共用型NICOLAでは「愛」がうまく伝わらないというケースも出てきます。

下はいつものように愛の構図です。

いや、「あい」と打ち込んだときのキーの動きを時間軸であらわしたものです。

マニアックですね。

例によって文字[S]キーが先行しました、という仮定です。

キーの動きを時間軸であらわしたもの

文字キー[S]が先に押され、つぎに左親指キーが押され、その状態から今度は文字キー[S]が離されました。OASYSであればここで同時打鍵が成立して「あ」が確定です。いい感じですね。

しかし変換キー共用型NICOLAでは、ここでちょっと違う処理が入ります。

下の図は、実務に耐える親指シフトの処理を示した(と私が考える)日本語入力コンソーシアムの公式サイト・2000年日本工業規格(提案)にある同時打鍵遷移表です。

同時打鍵遷移表より文字キーリリースをフォーカス

文字キー[S]が先に押され、つぎに左親指キーが押されて「4)MOオン状態」になりました。ここから「当該キーオフ」、すなわち文字キー[S]が離されたので同時打鍵が成立して「MO出力1)へ」、「あ」というかなを打ち込んだことになります。

ところでよく見ると「MO出力1)へ」の下に(注3)とありますね。

この(注3)というのが変換キー共用型NICOLA特有の「文字キーリリース処理」になります。

具体的に何をしているのか、ですが、2000年NICOLA規格書によると、最初に押したキーを離した時間によって

  • time1 > time2 ならば 逐次打鍵 (下の図)
  • time1 ≦ time2 ならば 同時打鍵

と判定すると記されています。(正確な引用は「レトロなキーボードが最後まで生き残った理由」にあげていますので、興味のある方は参照してください)

文字キーリリース処理を説明

親指キーが押されてすぐに(黄色の領域で)文字キーが離された場合(time1 > time2)は親指キーの単独打鍵を考慮して、文字キーの単独打鍵を出力します。

つまり「あ」を打とうとしても同時打鍵にはならず、文字キー[S]キーの単独打鍵、「し」になってしまいます。

OASYSでは time1 > time2 で[S]が離されても問題なく「あ」になるのですが、変換キー共用型の場合ここは「あ」ではなくて「し」です。

で、のこった左親指キーは単独打鍵が確定するのかといえば、

そうはなりません。

2000年版・日本工業規格(提案)では

親指キーセットへと遷移するだけです。

ということは?

仮に左親指キーが離されないうちに文字キー[L]が押されたら、「親指、シフト一回だけの法則」が適応されその段階で同時打鍵が成立します。結果として「ぽ」を出力します。

つまり「あい」ではなく、

「しぽ」

「しぽ」と誤判定
恐怖の「しぽ」現象

極度に危険です。

「しぽ」とは何事だ、

これではジャイアント馬場さんにも「愛」が伝わらないじゃないか、

と私に言われても知りません。

いずれにしても

世界が終わるわけではありません。

OASYSだと「あい」と打てる同じタイミングで、変換キー共用型だと「しぽ」になってしまう(ことが理論上はありえる)。

だとしてもそれは極めて極端な例、レアケースであって、実用性を損ねるほどではないでしょう。

レアケースならば、わざわざ取り上げることほどのものではない、でしょうか。

「親指、シフト一回だけの法則」の項目で、

シフトしていないにもかかわらずシフトありに判定されてしまうことは、親指シフトの根幹を崩すものだと、説明しました。

ならば

シフトしているにもかかわらずシフトなしに判定されてしまうこともまた

親指シフトの根幹を崩す、とは言えるかもしれませんね。

では、なぜ文字入力の基本を崩してまで変換キー共用型NICOLAが重視されたのでしょうか?

それは1980年代半ばくらいからの時代の流れを見ると理解しやすいと思います。

F社の手を離れて

そもそも1980年代半ばから1990年代のはじめ頃まで富士通のPCは親指シフトキーボードがメインでした。富士通のPCは、FMRでもFM TOWNSでも親指シフトキーボードが標準、たとえば広告に載るキーボードも基本的に親指シフトだったのです。もちろんワープロ専用機のOASYSもメインのキーボードは親指シフトでした。

立ち寄らば富士通、親指シフトキーボード、ということで当時はまだ安心感があったとも言えました。

富士通PCの親指シフトキーボード
富士通PCの親指シフトキーボード

でも1980年代のPCはNECのPC9801シリーズが強く、ソフトウェアや周辺機器の豊富さで他社のPCを圧倒していたため、親指シフトキーボードをメインに据えたFMRが広く普及するには至りませんでした。

PC9801用の親指シフトキーボード(ASkeyboard)なども販売されていましたが、かなり値段が張るキーボードであり、入手できる人は限られていたと思います。

親指シフトキーボード本家のワープロ専用機OASYSも、新JISキーボードを巡るすったもんだの果てに、次第にJIS配列キーボード搭載のOASYSを目にする機会が多くなっていったのでした。

OASYSのキーボード

そういう状況の1989年、親指シフト普及のために設立された日本語入力コンソーシアムが推し進めるスタイル、すなわち変換キー共用型NICOLAは

ライセンスフリー

原則ふつうの日本語キーボードでも使える

という点がクローズアップされました。

でも1980年代のPCはNECのPC9801シリーズが強く、ソフトウェアや周辺機器の豊富さで他社のPCを圧倒していたため、親指シフトキーボードをメインに据えたFMRが広く普及するには至りませんでした。

PC9801用の親指シフトキーボード(ASkeyboard)なども販売されていましたが、かなり値段が張るキーボードであり、入手できる人は限られていたと思います。

親指シフトキーボード本家のワープロ専用機OASYSも、新JISキーボードを巡るすったもんだの果てに、次第にJIS配列キーボード搭載のOASYSを目にする機会が多くなっていったのでした。

OASYSのキーボード

そういう状況の1989年、親指シフト普及のために設立された日本語入力コンソーシアムが推し進めるスタイル、すなわち変換キー共用型NICOLAは

ライセンスフリー

原則ふつうの日本語キーボードでも使える

という点がクローズアップされました。

親指シフトキーボードは富士通が特許を取得したのでライセンス関係の問題があるらしい、ということは一般にも知られていました。というより、そもそも論でOASYSキーボードのようなものを個人が入手するなどほぼ不可能な時代でした。

袋小路に追い込まれていた状況のなかで、その当時、変換キー共用型を推奨するNICOLAは突破口のように思えたのでした。

さらに時は流れて1995年、つまりマイクロソフト社のWindows95が発売された年に、親指シフター(の全員ではないでしょうが)は強烈なボディーブローを食らうことになります。

その年、富士通の親指シフトキーボードがはじめて格下げされました。

Windows向けにあたらしく立ち上げたPC、FMVシリーズでは親指シフトキーボードはメインキーボードの座を外され、オプション扱いになってしまっていたのです。

使いたいというのであればどうぞ、という感じでした。

やべー雲行き、という感じでした。常識的に判断すれば、富士通がどういう方向に舵を切ったかは一目瞭然でした。

富士通のワープロ専用機もPCも常に親指シフトがメイン、という方針が明確に切り替わったのです……。

そして1997年に親指シフトの終わりを告げる(と私が考えている)キーボードFMV-KB611が出ます。詳しくは「親指シフトキーボードはなぜ変だったか」に書いたのでお読みください。

OASYSキーボードに魅了された私でさえ引いてしまうような外観を持つFMV-KB611を、いったい誰が買うんだろうと当時は本気で不思議に思ったくらいです(ま、私は買いましたが)。

さらに決定的だったのは発売時期は若干のずれがあるものの、2000年ころにFMV-KB611のペアキーボードというべきFKB8579-661が登場したことです。

巧妙な仕組みだったFKB8579-661

FKB8579-661は2001年頃、富士通高見澤コンポーネント(現FCLコンポーネント)が販売したコンパクト親指シフトキーボードです。製造・販売は富士通高見澤コンポーネントでしたが、このキーボードのプロジェクトを推進したのはアスキーだったとも言われています。

変換キー共用型NICOLAを推進していた日本語入力コンソーシアムの本部が置かれていたのは、アスキーでした。

ということで、一見するとそれ以前の親指シフトキーボードと同じにみえるFKB8579-661は、じつは親指シフトキーと変換キーを共用する「変換キー共用型」のキーボードでした。

具体的には右親指キーと変換キーがまったく同じキーコードだったのでした。もちろん左親指と無変換も同じです。物理的には独立しているにもかかわらずキーボード内部では独立していなくて、まったく同じキーとして処理されていたのでした。つまり変換キーは、スペースキーのエイリアスのような感じです。

そのうえで、あらためて同時代に富士通が販売していたFMV-KB611とアスキーが推進していた変換キー共用型のキーボードFKB8579-661をくらべてみましょう。

見た目専用ドライバ接続方式
FMV-KB611レガシー必要PS/2
FKB8579-661現代的不要USB

という感じになります。

これを簡単に言ってしまうと

「富士通、親指シフトやめるってよ」

というメッセージだったと思います。

だから

といっていいかはわかりませんが、

供給サイドもFKB8579-661には力を注いでいたようです。

当時のインフルエンサーというか、親指シフトの人気サイトの作者さんがこのFKB8579-661にたいしてかなりのページ数を割いて紹介していたのを記憶しています。

そして変換キー共用型NICOLAの推進、という観点から見るとこのキーボードは実に巧妙な仕組みになっていたと思います。

上述したようにFKB8579-661は変換キー共用型NICOLAとして動作します。

親指キー手前の(見た目は)独立した変換キーを使う場合であっても、(キーコードが同じなので)変換キー共用型NICOLAとして動作します。

変換キー共用型NICOLAとOASYS風の変換キー独立型と、使い比べることが可能であるかのような外観を持っているにもかかわらず、じっさいは「比較できない」わけですね。同じキーコードだから。

でも親指シフトを知らない、内部構造の違いを知らない人から見たら、たぶんこう思えますよね。

「なんだ、OASYS風の変換キー独立型よりも、親指キーと変換キーを共用する変換キー共用型のほうが合理的だし、使いやすいじゃないか」

それはそうです。どっちも仕組みが同じである以上、ポジション的に押しやすい親指キーで変換するほうが、使い勝手も良いと感じるのがふつうでしょうから。

うまく考えたなあと感心します。

もちろん変換キー共用型NICOLAがクローズアップされていったのはアスキーの方針がどうのこうのという狭い話ではなく、いわば時代の必然だったと思いますし、その存在意義も大きかったと考えます。

いずれにしても、このような経緯を経て、変換キー共用型NICOLAが主流になっていったわけです。

そのうえで

時代はさらに変わりました。

親指シフト・フリーな時代

まず富士通が親指シフトから完全撤退してすでに数年の月日が流れました。

親指シフトというすばらしい技術を開発してくださった富士通の開発スタッフに対して今でも私は感謝の気持ちを失っていません。ですが、それはそれとして富士通が親指シフトに関わっていたのはもはや過去の話ですね。

なので富士通最後の親指シフトキーボードFMV-KB232が変換キー共用型だからといってそれに付き合うつもりはありません。KB232がとてもハイレベルの良いキーボードであることを認めたうえで、私にとっては(もしかしたら富士通にとっても?)FMV-KB232は「祭りのあとのキーボード」だからです。

FMV-KB232のレイアウト
FMV-KB232の雑なレイアウト

そして前提も変わりました。

かつて変換キー共用型NICOLAのメリットとしていわれたライセンスフリー云々は、特許権そのものがはるか昔に無効になっている現在もはやメリットにはなりません。

そしていちばんのネックだったキーボードにかんしても、(完全にとは言えないにしても)問題は解消されつつあります。

OASYSのようなキーボードが誰でも簡単に手に入るかというと現状そこまではまだ無理でしょうが、立ち寄らば大樹、富士通に頼らないとどうにもならない時代ではなくなりましたね。

もちろん変換キー共用型NICOLAに慣れているからそちらのほうがいいよ、という人も少なくないでしょう。また変換キー共用型のほうが親指キーをより有効利用できるというメリットはあります。(たとえば余った親指キーにEnterやCtrlキーを割り当てるとか)

なによりも変換キー共用型NICOLAを推進した日本語入力コンソーシアム設立の背景には、危機に陥っていた親指シフトをなんとか残したいという人たちの努力の積み重ねがあったと思うので、それを軽んじる気持ちもありません。

そのうえで、

時代は変わりつつあります。

親指シフトの根幹は(一般的なイメージと違うかもしれませんが)「シンプルで楽に打てること」です。それを可能にしている土台は、あったりまえの話ですが確実な文字入力、です。

文字キーを単独で押したらシフトなしだし、文字キーとシフトキーを同時に押したらシフトあり、というのは親指シフトの、という以上に タイピングの基本だろうと思います。なので、たとえごく僅かなタイミングの差であってもであっても

「ほんとうは[A]キーを押しているんだけれど[B]キーにしちゃうよ」

だの

「ほんとうはシフトしているんだけれどシフトなしにするよ」

みたいな”変化球”を使う理由は、なくなりつつある(すくなくともなくなる方向には進んでいる)かなあと思います。

パンドラの箱が開けられ、それがどんな結果に結びついたかは、たとえば「なぜ親指シフトは忘れ去られたか」に”一例”を書いたのでここでは触れません。

でも、希望は残りました。

直球で勝負できる条件が整ったのだから直球で行ってもいいんじゃない? というのが今の私の選択です。

なので私自身はOASYS方式、変換キー独立型で親指シフトしています。

ようするに何が言いたいかというと、どこかで誰かが親指シフトしているかぎり、愛は確実に伝わるということですね。

よかったです。

FMV-KB613のレイアウト
FMV-KB613の雑なレイアウト

FMV-KB232のレイアウト
FMV-KB232の雑なレイアウト

つづきはwebで