なぜ新JISキーボードは生まれたのか
日本語キーボードを購入すればたいていの場合それぞれのキーに「かな」が刻印されています。
これがJIS規格で定められた配列であることをご存知の方は少なくないかもしれませんが、このJIS「かな」配列が、かつて”旧JIS配列”と呼ばれた時代があることをご存知でしょうか。
“旧JIS配列”
ん?
じゃあ”新JIS配列”、みたいなものがあんの?
はい
あるんです。
正確にはあったんです。
時代は1980年代なかば頃のことでした。
新JISキーボード登場
1986年、通産省・工業技術院はそれまで使われてたJIS「かな」配列に代わるものとして、新しいJIS規格の「かな」キーボードを制定しました。
それがJIS86キーボード、通称・新JISキーボード、新JIS配列と言われるものです。
制定時点での正式名称は「JIS C 6236-1986」です。
経緯
時代を遡ること1979年、富士通の技術スタッフは自分たちが開発した新しいキーボード(親指シフトキーボード)を学会で発表しました。
おそらくはこの学会のことだろうと推測できるのですが、その場に居合わせた東京工業大学の木村泉さんは著書「ワープロ徹底入門」(岩波新書)のなかでこんなことを書かれています。
当時業界には、JISというオカミの決めたものがあるのにそれ以外のものを考えるなど不謹慎だ、というような雰囲気があったように思う。そういう雰囲気のなかで勇敢に新しい配列を提案した開発者たちは大変かっこよく見えた。
しかし提案しただけではなく、翌年の1980年に富士通は実際に新しいキーボードを製品化しました。OASYSキーボードです。
「JISというオカミの決めたものがあるのにそれ以外の」キーボードをイチ民間企業が開発し、しかもそれを製品化してしまった。これを黙って見過ごすわけではいかない。通産省サイドがそのような判断を下したのは、意外と早い時期からのようでした。
新しいキーボードの基礎研究は、OASYSが発売された1980年に、日本語情報処理に関する調査研究委員会が設置されたところから始まるそうです。(参考「ワードプロセッサ―新JISキーボードの基礎」『税務経理協会』より)
通産省の工業技術院が「日本電子工業振興協会」というけして名前を覚えられそうにない社団法人に委託して、そこで設けられたふたつの組織が新しいキーボードを作成した、という形になるようです。ふたつの組織というのは具体的には(上記の)調査研究委員会、そして下部組織にあたるA専門委員会です。
ちなみにこのA専門委員会には
NTT電気通信研究所、文化庁国立国語研究所、などから始まり、日立、キャノン、三菱電機、日本電気(NEC)、日本IBM、松下通信工業(現パナソニックグループの一部門)その他、という感じでそうそうたる企業が名を連ねていました。
なお、新JISキーボード、新JIS配列というのは当時の呼称ですが、使用実績がないため廃止になった規格にたいして“新JIS”はおかしいと思うので、当サイトでは原則として、以降は“JIS86”という表記に改めます。
そもそもなぜJIS86キーボードは制定されたのか
あらたなJISキーボードが制定された理由のひとつは、現行JIS「かな」キーボードは機械式タイプライタを前提にした古い配列なので、電子技術が向上した現在(つまり1980年代)には時代にそぐわなってきた、という判断があったからです。(参考・JIS86配列規格書)
そしてもうひとつ大きな理由があります。
これです。
著者の渡辺定久さんはJIS86キーボードの実質的な考案者だったとされている方です。工業技術院の電子技術総合研究所の研究室長であり、かつA専門委員会の委員長でもあった方です。
そして、上の論文にある「JISに準拠しないキーボード」が親指シフトキーボードを指していることは以下の文章で明白です。
JIS86配列を考案した渡辺定久さんの意見が、そのまま通産省の公式見解ではまったくないのは確かですが、それを踏まえたうえで
「JISというオカミの決めたものがあるのに」「JISに準拠しないキーボード」をイチ民間企業が開発し、しかも普及する兆しを見せている。
それに対する通産省サイドのいらだち、不快感がにじみ出ている文章だ、という気がしないでもありません。
しかしそういうメンツの問題、既得権益を守るため、という見方とはべつに、公平に言って通産省サイドにも大義名分があったのは確かでした。最初にも書いたように「JISに準拠しないキーボード」は特許を取得していたからです。
親指シフトキーボードは富士通が特許権を取得していました。したがってほかのメーカーから出ていた親指シフトキーボード、たとえば株式会社アスキーのASkeyboard(アスキーボード)などは富士通からライセンスを取得して販売していました。
つまり富士通以外の会社が親指シフトキーボードを販売して売り上げを計上したら、富士通にたいしてロイヤリティが支払われる(かどうかはわかりませんが)、すくなくともそういう流れが一般的な社会通念としてはあるわけです。(ちなみに2023年現在は親指シフトキーボードが持つ特許権の存続期間は終わっています)
つまり通産省が見過ごしにできなかったのは、以下の2点だということになると思います。
- 「JISに準拠しないキーボード」をイチ民間企業が開発し、一定の支持を得ている。
- その「JISに準拠しないキーボード」はイチ民間企業が特許権を取得している。
こうして「JISに準拠しないキーボード」から「消費者保護の観点」にも立って、通産省主導による国家規格のキーボードが完成しました。
一般には「親指シフトキラー」「富士通包囲網」などと言われたJIS86キーボードが、その実態をあきらかにする日がきたのです。
オウンゴールだったのか?
富士通包囲網なんて言われていたんですね。
でも実態は富士通包囲網ではありえませんでした。
1986年、あらたなキーボードの国家規格が制定され、主要なワープロメーカー各社はこぞってJIS86配列のキーボードを実装し始めました。
1987年、通産省・工業技術院の調査によると
シャープ、東芝、NEC、日立、リコーなど代表的なワープロメーカー計10社がJIS86キーボードを実装した、とあります。
そしてこの10社のなかには当の富士通も含まれていました。
上記の調査によると、10社のなかでも最大、10機種のJIS86キーボードを富士通が実装した、とあります。
JIS86キーボードにたいしてむしろ積極的、と受けとる向きもあったと思います。
べつの記事でも書いたのですが、もともとOASYSではJISキーボードを選択することができたので、富士通にしてみれば方針を変更したわけではないし、ましてや親指シフトを見捨てたことにならない、という主張だったと思います。
私見をいえば、富士通という会社の規模、事業内容、省庁にたいする立ち位置、などを考えたらJIS86キーボードに対する姿勢は(賛成はしないけれど)やむを得ざる面があったのかな、と個人的には思います。(私の記憶違いでなければ、あくまで法人向けのみの出荷に限定していたはずです)
しかし一般の受け止めはそういうものではありませんでした。
曰く
- 富士通は白旗を挙げた。
- 親指シフトキーボードからJIS86キーボードに鞍替えした。
- もう富士通は親指シフトキーボードから撤退するつもりだ。
云々
それまでOASYSや親指シフトとは一歩距離をおいていた人たちがそんな風にとらえ、さらに引いてしまう、という状況が生まれたように思えました。
「親指シフト? 使えなくなるからやめた方がいいよ」
知人から忠告されたのはJIS86配列が制定される少し前のことだったと記憶しています。
当時は、人生で一度もキーボードに触れたことのないような人でも親指シフトや“新JISキーボード”のことは(マスメディアを通して)承知していたのでした。
知人、曰く。
「富士通はもう親指シフトキーボードに見切りをつけた、これからは新しいキーボードに統一して親指シフトはやめるそうだから、君も早いところ考え直したほうがいい」
富士通がJIS86キーボードの規格を決めるメンバー(上述のA専門委員会)に加わってたという情報は制定前から伝わっていたので「親指シフト終了のお知らせ」みたいな話が、かなり広まっていたのでした。
まさに時代の生き証人、というわけですね。
えーと、
感心するところ、間違えてますね。
なにしろ調査を含めれば約5年の歳月をかけた国家規格に、日本有数の企業が参画したプロジェクト、鍵盤の操作性にかんしては日本新聞協会まで参画していた(つまりマスメディアも押さえていた)のですから、あたらしい日本語入力はこれで決定、そういう雰囲気が当時はあった、と記憶しています。
そういう意味では、親指シフトの独走許すまじ、という趣旨のもと考案されたJIS86キーボードはスタート時点ですでにその本来の目的を達成してしまった、という見方もできるかもしれません。
親指シフトの人気を折れ線グラフであらわしたとき、下に折れてしまったポイントがあるとするならば、それはおそらくこの時期、1985年、1986年あたりではなかったかなあと感じています。(あくまでも皮膚感覚レベルの話です)
事実、まったく普及が進まなかったJIS86配列のかわりに親指シフトキーボードがかつての人気を取り戻す、などということはその後なかったのです。(皮膚感覚レベルの話です)
現行JIS「かな」配列の未来
一方、その時点では「日本語入力の主流」の地位を保っていた現行JIS「かな」配列ですが、JIS86配列の登場によって主流でありつづけることは不可能になった、と考えます。
現行JIS「かな」配列は国家規格です。
その国家規格の配列を
日本文の入力用として適当ではない
とほかならぬ国家が断定してしまったのです。
じっさいにJIS86配列が制定された当時、盛んに喧伝されたことのひとつは「”旧JIS配列”はもはや時代遅れ」ということでした。
この段階で現行JIS「かな」配列が、いずれ「日本語入力の主流」の座から滑り降りることになるのはほぼ確定した、と言えます。(事実、そうなりました)
もうひとつの入力方式
日本語入力を「現行JISかな」「親指シフト」「JIS86配列」この三つに限定するとしたら、JIS86配列が制定された1986年にはほぼ結果が見えた観がありました。
あとは着々と実績を積み上げてゆけばJIS86配列が日本語入力の標準になっていた、かもしれません。
しかし現実には、当時の主流派だった現行JIS「かな」ユーザーの様子見、という現象が起きたように思います。
- なんとなく親指シフトの芽は摘み取られた観がある(親指シフト=終了)。
- それにたいして現行JISはその段階で“旧JIS”になってしまった(マスメディアでも“旧JIS”という表記を採用していた)のだから、おそらくは“新JIS”に移行するのが正しいのだろう(“新JIS”配列=正義)。
- でも正義というものはたいていの場合どこか胡散臭い。まったく未知の「上から降ろされてきた」配列に無条件で移行していいものかどうか……、しばらく様子見しよう。
現行JIS「かな」ユーザーの気持ちを代弁するならば、そんなところではなかったでしょうか。
そうこうするうちに、現行JIS「かな」ユーザーはもうひとつの入力方式の存在に目を向けていったのだろうと思います。
それはJIS86配列を考案していた段階ではおそらく眼中になかっただろうあの入力方式、JIS86配列の登場によって勢いをそがれるどころか、逆に時代の追い風にも乗ってめきめき頭角を現していく、あの入力方式でした。
qwertyローマ字入力ですね。
とはいっても、
じっさいにはJIS86配列とqwertyローマ字入力のあいだでバトルが繰り広げられたわけではありません。そもそもJIS86キーボードでもローマ字入力は可能ですからね。
なので、キングギドラが襲来してモスラが勝っちゃいました、的なアレはなかったわけです。
なんの話ですか?
ただJIS86配列の登場によって、qwertyローマ字入力が普及していくための土壌のようなものは、形づくられていったのかなあと思います。(後述)
消えたJIS86キーボード
上述のようにJIS86キーボードは、当初は視座に据えていたふたつのキーボードを抑え込むことに、ほぼ成功しかけていたように見えました。ひとつは「JISに準拠したキーボード = 現行JISかな」であり、そしてもうひとつは「JISに準拠しないキーボード = 親指シフト」です。
しかし結果として、JIS86キーボードが日本語入力の標準になることはありませんでした。
「沿線の小駅は石のやうに黙殺された。」
上は作家・横光利一の「頭ならびに腹」という短編小説、冒頭にある文章です。
とある作家がこの表現はすごいとほめたたえていたので印象に残っているのですが、JIS86キーボードを考えるときいつもこの一節を思い出してしまいます。
石のやうに黙殺された。ただただ、静かに拒絶された、というのがJIS86キーボードの印象です。
社団法人・日本事務機械工業会(現JBMIA)の調査によると、JIS86キーボード制定から2年後の1988年にはすでに結果が見えた、といえる状況になっていたようです。
年度 | ”新JISキーボード”の出荷比率 |
1988年 | 7.7% |
1989年 | 0.5% |
1990年 | 0.08% |
やがて1999年には使用実績がないとの理由により、規格としては廃止になりました。
しかしJIS86キーボードそのものが普及することはなかったものの、JIS86キーボードが残していった”日本語入力はこうあるべき”という考え方は、その後も社会に生きつづけることになったと思います。
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