親指シフターから見たローマ字入力
皆さまこんにちは。通りすがりの親指シフター、ミツイです。
あ、通りすがりだったんですね。
今回は親指シフター(のはしくれ)である私が、あらためてローマ字入力を語ってみたいと思います。
そうですか。
あらかじめ書いておきますと、私はローマ字入力のキャリアもけっこう長いです。
長く生きているということですね。
なので、ローマ字入力でもべつに不自由はしません。
以上
それでは皆さまごきげんよう。
おわりかい。
ということもなくて
せっかくなので親指シフト博物館、今回はあらためてローマ字入力にフォーカスした話をしてみたいと思います。
なにがせっかくなのかわかりませんけれど、よろしくお願いします。
目次
ローマ字入力を誰がはじめたのか
そもそも、ですが、誰が最初にローマ字入力を始めたのか、よくわからないんですね。
現行JIS「かな」配列の元になった配列を考案したのはバーナム・スティックニーさんという技師ですし、親指シフトキーボード、開発陣のリーダーは神田康典さんです。
それに対してローマ字入力は誰が最初に始めたのかはっきりしません。
ネットで調べても「ヘボン式」がどうの「訓令式」がああのと、いやいや知りたいのそれじゃねえし、みたいな記事ばかり出てくるし、あげくの果てには古代ローマ人がどうしたフェニキア帝国がこうした、とか、ひょっとしてアレですか? 古代ローマ人が1970年代あたりにタイムスリップしてローマ字入力を教えた、みたいな話ですか?
テルマエ・ロマエですか。
1980年代に活躍した日本語ワードプロセッサ、そのワープロ専用機のなかでもとくにローマ字入力に力を注いでいたのがキャノンです。
キャノンの公式サイトによると、ローマ字入力を初めて採用したワープロ「キヤノワード55」を発売したのが1980年だそうです。奇しくも親指シフトキーボードが商品として世に登場したのと同じ年です。
ただ厳密にいうと、日本語ワープロとしては「キヤノワード55」が最初だということですね。
ローマ字入力という手法自体はそれ以前からあったようです。
ちなみに某月某日「ローマ字入力を誰がはじめたのか」、と某生成AIに尋ねたら
「一太郎を開発した浮川和宣さんです」という答えが返ってきました。
当時を知る人にとっては目の玉が37センチほど上に飛び出るようなご回答ですね。
「一太郎」は1980年代を代表するビジネスパソコン、NECのPC9801用に開発された日本語ワープロソフトでした。
そもそもPC9801が発売されたのが1982年とキヤノワードより後発だし、「一太郎」そのものの発売は1985年だし、一太郎以前には「松」というけっこう有名なワープロソフトがあったのですが、じゃあ「松」はローマ字入力できなかったんすかあ? と全国の突っ込みチャン大喜びのご回答でした。
とはいえ
ローマ字入力の歴史を語る上で「一太郎」の存在は欠かせないよね、というふうには考えています。
「一太郎」の話はまた後ほど。
親指シフトキーボードを開発した当時の神田泰典さんの考えとして「ローマ字入力は不自然」なので、ふつうの日本人がもっと扱いやすいキーボードがあるべきだと考えて、親指シフトキーボードを開発した、そんな趣旨のことを書いておられます。(参考・”人とコンピュータをつなぐために”「ニュートン」1986年7月号より)
「ローマ字入力が不自然で、親指シフトはふつう」という意見を現代の人が目にしたら
「そんな馬鹿な。ふつうローマ字入力でしょ」
と思いませんか。
ふつうローマ字入力ですね。
ここの部分はわたしの主観なんですが、1980年代の初めくらいまでは、ローマ字入力は英文タイプライターなど一部の人の特殊技能、イレギュラーな入力方法なんだという考え方をもつ人は、けして少なくなかった気がしますね。ひとりひとりにインタビューしたわけではないので、あくまで印象ですけど。
さて、話は戻りますが、1970年代後半にはローマ字入力という手法自体はあるていど確立していたらしい、のです。
では、いったい誰がローマ字入力を始めたのでしょうか。
最初にも書いたように明確な答えはないのですが、
もしかしたらこれがローマ字入力の元になったのかも、と思えるような事例ならあります。
ときは1975年、はじめたのは共同通信社です。
共同通信社のオンラインシステム
1975年、共同通信社が採用したオンラインシステムには、現在のローマ字入力の原型といえるような技術が見られます。
海外特派員が取材した記事を、ローマ字のニュース電文のかたちでオンラインで本社に送り、本社に設置したコンピュータで「かな漢字」に変換する仕組みだったそうです。そして校正などのチェックを経たあとでそのニュース原稿を全国の各支部に配信する仕組みだったようです。
ちなみに共同通信本社に設置されたそのコンピュータですが、NEAC-2200といういかにも、なネーミングでした。
付け加えると、ハリーポッターがクィディッチの試合で使うほうきの名がNimbus-2000です。
訊いておりません。
さて、ローマ字入力の原型とは書きましたが、時代を考えると取材した特派員自身がローマ字をタイプすることはなかったんじゃないか、と思います。おそらく各支社専属のタイピストが記者の書いた記事を入力し、それをテレタイプなどで送っていたのでしょう。
スティーブ・ジョブズのアップルコンピュータ社がApple IIを出したのが1977年と言われていますから、現在のいわゆるパソコンに相当するものはかけらもない時代です。
共同通信社のシステムは、入力から「かな漢字」に変換するのも大掛かりで、かつタイムラグがあったようで、現在わたしたちが考えるローマ字入力とはややかけ離れた感じもしますね。
それでも、入力はローマ字で、変換はプログラムで、という仕組みそのものはまちがいなくローマ字入力、すくなくともローマ字入力のプロトタイプとはいえると思います。
それ以前に漢字かな混じり文を伝送する手段として、漢テレ(漢字テレプリンタ)という装置がありました。リンク先の記述にもあるように、漢字テレプリンタは日本語ワープロの前身、などとも言われています。
それに対して共同通信社の技術は漢字かな混じり文を伝送するのではなく、英字のかたちで伝送して、ホスト側で漢字かな混じり文に変換する手法でした。
これによって特別なハードウェアは必要なくなったので海外からの伝送も簡単になり、さらに漢字テレックスに要求されたような特殊な技能も不要になったわけで、おおきな進歩だったと言えます。
(参考“共同通信社のニュース集配オンラインシステム”「情報処理」1977,NO.10,情報処理学会より)
ちなみにですが、日本語ワープロの前身ともいわれる漢字テレプリンタを新興製作所と共同開発したのは朝日新聞社です。そしてローマ字入力の原型ともいえる手法を採用したのが共同通信社。日本語情報処理の黎明期をリードしたのは新聞社や通信社であったといえるかもしれません。
それはともかく
共同通信社のオンラインシステムを「ローマ字入力」という点にフォーカスしてみると、かなり原始的なものだったろうと想像がつきます。
たとえば、ふだんローマ字入力をしていて、[スペース]キーを押せば変換できる、ということを現在の私たちはあたりまえに感じます。
でも、[スペース]キーを押せば変換できる、とか、[A]キーを押せば「あ」と表示される、といった今ではあたりまえのことが、あたりまえに変わるまでには技術者たちのたえまない試行錯誤の積み重ねがあったのだ、という意見を目にしたことがあります。
かつては「ローマ字入力は特殊な方法」という認識を持つ人がけして少なくなかった、と書きましたが、じっさい初期のローマ字入力は実用性が高いとはとても言えなかったように思います。でもその後、ローマ字入力自体が成長し、成熟していくことになりました。
ローマ字入力自体の成熟。それこそがほかの「かな」配列とローマ字入力とのおおきな違いになるのでは、と思います。
ローマとローマ字入力は一日にしてならず、というわけですね。
うん、いいこと言った。
あ、そうなんですね。
あたりまえじゃなかった、[スペース]キーで変換
あらためて書くほどのことではないですが、現在、日本語入力の主流はローマ字入力です。
ローマ字入力が広く普及したのはマイクロソフト社のwindowsが一般に使われるようになってからだ、という説を目にしたことがあります。個人的な実感としてもそんなところかなあと思いますが、ローマ字入力が普及するきっかけ、トリガーになったのは、1990年前後、IBM PC/AT互換機で日本語が使えるようになった時期だったと思います。
そして、それを下から支えたのが[スペース]キー変換です。
[スペース]キーを押せば変換できる。
いつからふつうのことになったんでしょうか。
windows普及以前
いま、手元に昔のUNIXの本「入門 XWindow」松田晃一、暦本純一 共著(アスキー出版局)があります。
奥付を見ると初版が1993年です。
UNIXなので、キホン日本語キーボードというのは存在しなかったようです。
現在macのOSはUNIXベースのOSでもありますが。そのmacとかでも(「かな」入力するかどうかは別として)日本語キーボードがふつうに使えます。でも1993年以前のUNIX環境では、英語キーボードを使ったローマ字入力がおおむね唯一の選択肢、といえる状況だったようです。
さて当時のUNIX、打ち込んだローマ字をかな漢字に変える方法が、なかなか興味深いものになっています。
もちろん設定(かな漢字変換用のフロントエンドプロセッサ)によって違ってはくるのですが、入力した文字を変換するのに、
たとえば
[Ctrl]キーを押しながら[W]キーを押す(uumの場合)、
あるいは
[Ctrl]キーを押しながら[J]キーを押す(kinput2の場合)などしていたようです。
入力した「かな」をかな漢字に変えるのに
[Ctrl] + [W]
もしくは
[Ctrl] + [J]
ですよ。
大丈夫ですか、熱はないのですか、と膝を詰め寄りたくなりますね。
1993年といえばそろそろ本格的なWindowsの時代が近づいてくるころです。その時点でもUNIXの世界では[スペース]キー変換が十分に浸透していなかったことが伺えます。
もちろんUNIXのキーボードの場合、そもそも[Ctrl]キーが打ちやすい位置([A]キーのとなり)にあった(製品が多かった)などの事情もあるのですが、それを加味しても
[Ctrl] + [W] で変換。
みたいなやり方が主流だったとしたらローマ字入力が日本語入力の標準になるのはむずかしかったんじゃないでしょうか。
では国内市場に目を向けて、ワープロ専用機の場合はどうだったのでしょうか。
ワープロ専用機の世界では入力した文字の変換は専用の変換キーで行っていました。すべてのメーカーのワープロに変換キーが備わっていたのかまでは確認していませんが、記憶しているかぎりではそうだったと思います。
ワープロメーカーのなかでもローマ字入力を最初に採用し、その後も一貫してローマ字入力ににちからを注いでいたとされるキャノンのワープロも、変換はあくまでも変換キーで行うスタイルでした。
それなら1980年代、パソコンの国民機とまで言われたNECのPC-9801シリーズはどうだったでしょうか。
PC-9801でも、標準のキーボードには変換を担う機能を想定した[XFER]キー、そして無変換を想定した[NFER]キーなどが備わっていました。
PC-9801、専門用語でいうところの「キューハチ」というやつですね。
ちなみにスペースキーの左側にあるキー、NFERというのはNot Transferという意味なのだそうです。
「ノン・ファー」とか「エヌ・ファー」とか発音したらよかったんでしょうか?
私はずっと「ぬふぁー」と読んでいました。
なんとなく「ヌガー」みたいですね。
……
一太郎登場
そこに「掟破り」の[スペース]キー変換で登場したのがジャストシステムの「一太郎」です。
「百太郎」と間違える方がいるかもしれませんが、「一太郎」です。
間違えませんが、でも掟破りなんですか。
なぜ「掟破り」なのかといえば、[スペース]も含めた文字キー領域には文字や図形キーを割り当て、そして変換のような機能キーは文字キー領域とはべつに専用のキーを使いましょう、みたいな考え方がいわば暗黙の了解としてあった感じだったんですよ、当時は。
でも日本語は英語とちがって分かち書きしない。そうである以上は文字入力中だったらスペースキーで「かな」を変換できるようにすればいいのではないか、という発想で登場したのが「一太郎」なんですね。
今となっては隔世の観がありますが、かつては「[スペース]キーで変換するなんて邪道じゃネ」みたいな意見もあったと記憶しています。
[スペース]キー変換、現在では常識となりましたが、これによってパソコンでの日本語入力はおおきく変わりました。日本語入力の主流をローマ字入力にした土台がこの[スペース]キー変換だったとさえ思います。
前述のように、追い風になったのが1990年頃からIBM PC/AT互換機で日本語を使えるようになったことです。それ以前はIBM系のパソコンで日本語を扱うことはできなかったので、必然的に国内の定番パソコンだったNECのPC9801シリーズしか選択肢がありませんでした。
ところがIBM PC/AT互換機はPC9801シリーズとくらべて機能面では遜色ないのに、はるかに低価格で入手できたのです。そういう魅力的な海外製品をただ指をくわえて見ているしかない、という状況を打ち破ったのがいわゆる”DOS/V”というやつです。パソコンの処理能力向上にともなってついにソフトウェアで日本語を処理することが可能になったのでした。
PC/AT互換機をフルセットで入手したとき、ローマ字入力ならば標準のキーボードがそのまま使えました。しかも刻印付きで。
現実には1990年当時PC/AT互換機を入手する人たちはごく一部だったろうと思います。ローマ字入力が広く普及していくのもまだ先の話です。でも「その気になればPC/AT互換機がそのまま使える」「英語キーボーがそのまま使える」という前提が成立したこと自体がおおきかったといえます。
「ローマ字入力を選択しておけばまず大きくは間違えないだろう」
そういう判断が妥当に感じられたのが1990年前後でした。
その背景に[スペース]キー変換が実用化されていたという土台があったわけですね。
日本語入力を決定したあの配列
さらに日本語入力の標準をローマ字入力に決定づけた、それを思想的にささえた配列がある、と考えています。
それは日本語入力の歴史を考えるうえでもとても重要な、あのキーボード、このサイトでもしばしば取り上げているJIS86配列です。
関係あるんですか。
ローマ字入力普及に、大いに関係があると考えているんです。
とはいってもJIS86配列を、当時の呼称である‟新JIS配列”に言い換えても、その存在を知る人は少ないでしょう。
あらためて説明しますと、1986年、当時の通産省・工業技術院により、これこそ新しい時代の日本語入力の標準なのだとして制定されたのが、JIS86キーボード、JIS86配列なんです。
JIS86配列は2百万文字を超えるテキストから文字の使用頻度を解析し、被験者を使っての数年間のタイピング測定や研究をおこなったすえに完成させた、いわば国家が本気になってつくりあげた、日本語入力の標準でした。
それと同時に、JIS86キーボード制定のおおきな目的のひとつが富士通・親指シフトキーボードの普及を抑えることであったことは、新JISキーボードの時代で書きました。
さて、現在では誰も知らないような配列をなぜ今さら取りあげるのかと言えば、先にも書いたように「かな」配列、というか、もっと広い意味で日本語入力の歴史を語るさいにけして避けて通ることができないのがJIS86配列だと考えているからです。
そして「ローマ字入力 = 日本語入力の標準」を思想的に裏付けたのも、このJIS86配列だったというのが私の考えです。JIS86配列そのものは普及することはなかったけれど、その理念はのちの日本の社会にも浸透していったのだと思います。
親指シフトを超えるJIS86配列
上述のようにJIS86配列は、制定された当初「親指シフトキラー」などとも言われていました。
そして、親指シフトキーボードに対する決定的な優位性、アドバンテージとして強調されていたことが
「JIS86配列なら現行JISかな配列のハードウェア資産が使えること」すなわち「ふつうの日本語キーボードが使えること」でした。
親指シフトは一般的とは言えないキーボードを使っている。でも新しい国家規格の配列、JIS86配列ならばふつうの日本語キーボードがそのまま使えるんですよ、というわけです。
これこそが国家によって担保された「正義」だった、と私は理会しています。
じっさいワープロ専用機のなかにはひとつのキーボードで現行のJIS「かな」と”新JIS”とを切り替えて使える機種もあったんですね。
特別なハードウェアを必要としないこと、ふつうの日本語キーボードが使えること、そういう配列だけがファクトスタンダードになる資格がある。通産省・工業技術院がJIS86配列を通して浸透させた理念がそれだったと思います。
ふつうの日本語キーボードが使えることが正義
さて、ではその観点でJIS86配列とローマ字入力を比較してみたらどうなるでしょうか。
ローマ字入力ならふつうの日本語キーボード、どころか、さらにその先を行ってふつうの英語キーボードが刻印付きでそのまま使えます。
親指シフトに対してJIS86配列が国内標準だとしたなら、ローマ字入力なら国内標準でも世界標準でも(ソフトウェアさえ対応していたら)そのまま使えるのです。
ローマ字入力、最強かも、って話です。
現行JIS「かな」も超えてしまうJIS86配列
一方JIS86配列は、現行JIS「かな」配列を超えるものでなければなりませんでした。JIS86配列が‟新JIS配列”と言われた以上は当然ですね。
そこで現行JIS「かな」配列(当時の表現では‟旧JIS配列”)に対して 、JIS86配列が有利な点として、次のような点が掲げられていました。
- 「かな」がアルファベット領域に収まっている。
- 右手小指で打つべきキーと使用率が少ない。
(参考・JIS86配列規格書より)
ここで注目したいのが、「2」の右手小指で打つべきキーが少ないということですね。
確かに現行JIS「かな」配列とくらべると、右手小指を使うキーも移動率もJIS86配列は少なくなっています。
ではこの点をローマ字入力と比較したらどうなるでしょうか?
入力方式 | 右手小指の使用率 |
---|---|
JIS86配列 | 約7.8パーセント |
ローマ字入力 | 約0.5パーセント |
圧倒的な差がつきました。あくまでもミツイ調べなのでだいたいそんなものなのかな、くらいに受け取ってもらってけっこうです。でも、どなたが調べてもそんなに大きくは変わらないと思います。
ちなみに上の表、ローマ字入力で[P]キーを打つとき右手小指を使うと想定しての数値です。
いやいや[P]キー、右手小指は使わんっしょ、という人もいるかもしれません(じつをいうと私もそうです)。でもここでは正しく(?)右手小指を使うものとしてカウントしています。
さらに上のJIS86配列の右手小指の移動率というのは、シフトキーに小指を使わないことを想定した移動率です。つまりJIS86配列に思い切り高いゲタをはかせて有利に見せる比較なんですが、にもかかわらずこれだけの差が出てしまいました。
上の数字から引き出せる結論は
IS86配列は現行JIS「かな」配列とくらべると改善されているけれど、ローマ字入力はIS86配列よりさらにその上を行っているよね……、いうことです。
結果としてローマ字入力は
「ふつうの日本語キーボードが使えるし、世界標準の英語キーボードでもそのまま使える」ので
親指シフト → JIS86配列 → ローマ字入力
という順番でいちばん有利。
また
「かながアルファベット領域に収まっていて、右手小指を烈しく動かさない」ので
現行JISかな配列 → JIS86配列 → ローマ字入力
という感じでやっぱりローマ字入力がいちばん有利。
結論
国家が総力をあげた配列をさらに凌駕するのがqwertyローマ字入力だった。
ということで、ローマ字入力に対して合格
のハンコを押したわけです。
押したって誰が、ですか?
結果として国家が、ということになるかと思います。
JIS86配列の存在は忘れ去られても、その理念は現在でも生きている、と思うのはそういうところです。
いやいや、ちょっと待ってください。ローマ字入力一筋の私が言うのもなんですが、JIS86配列って何百万文字を調べて、徹底して「かな」を研究したんですよね。そこの部分ではやっぱりメリットはあるんじゃないですか?
もちろんメリットはあると思います。ただ問題は、数字上のメリットよりも、そのメリットをどれだけ実感できるか、ということじゃないかと思います。
閾(しきい)値の話
話はちょっとそれますが、ずいぶんむかしのこと、知人からモニターの解像度の話を聞いたことがあるんです。
話、だいぶそれてません? モニターと配列とどんな関係があるんですか?
モニターの話じゃなくてモニターをネタにした閾値の話なんです。
知人と話したのはだいぶ以前のことだから具体的な数値は覚えていません。なので、以下はあくまで仮の値とします。
例えばモニターのサイズが20インチとかの小さめな値に設定します。そしてそのモニターの水平解像度が250ラインだったとします。
で、そのモニターに有名な観光地の写真とかを映してみます。でも、とにかく解像度が低いので画像が荒い。美しいはずの絵がぜんぜん美しくない。
そこでつぎに水平解像度を4倍の1000ラインに増やしてみます。するとモニターに映しだされた映像は見違えるほど鮮明になって、美しい風景に変わります。
つまりこのモニターでいうと、1000ラインで合格ラインに達した、閾値に達した、という言い方ができるわけですね。
それでは、画像が美しく表示されるようになったモニターの水平解像度を、さらに1000ラインの4倍、4000ラインに変更してみます。その結果はどうなったでしょうか。もっともっと美しく表示されるようになったでしょうか。
知人によると、残念ながらそうはならない、とのことでした。そのモニターのサイズでは1000ラインも4000ラインも、ヒトの目にはあまり違いは感じ取れなかったのだそうです。実験に使ったモニターのサイズにおいては1000ラインが閾値だったので、それ以上に解像度に高くしてもヒトの目には変化が感じ取れなかった、ということですね。
ローマ字入力は非効率的なのか
ということで、あらためてローマ字入力の話に戻ります。
たしかにqwerty配列はアメリカ生まれの配列(レミントン製タイプライターの配列)なので、「かな」の使用頻度とかを考慮しているわけではありません。
でも「かな」を入力するさい、それぞれの指の使用率とかを見るとそんなに極端に偏っているわけじゃないんですよ。
例えば母音の「あ」に相当するのは[A]キー、左手小指を使うキーですね。なのでけっこう使うといえば使ってはいるんですが、ではほかの指とくらべて飛びぬけて酷使しているのかといえば、極端に負担が重いわけではないんです。
なぜかというと、[A]キーはホームポジションなので小指の移動そのものが少ないからですね。左手小指を一定程度は使うんですが、移動がないぶんその負担は単純に使用率で計るほど重くはない、と私は考えます。
[A]キーが[A]キーのポジションでななくて[Z]キーの位置とかにあったら、ローマ字入力ちょっと問題じゃネ、と思いますが、実際には小指の移動が少ないので、その負担はそんなに重くはないと考えているんです。
もうひとつ、ローマ字入力しているときホームポジションのある中段、その上の上段とくらべて、下段(シフトキーのある段)の使用率は低くなっています。
下段(シフトキーのある段)へのタイピングは、中段や上段とくらべ負荷が大きくなってしまう、というデータは存在します。
具体的には1980年代、JIS86配列策定のため通産省・工業技術院から委託された機関が行った実験など、です(参考・JIS86配列規格書)。
そういう意味でもローマ字入力のレイアウトはおおむね効率の良い(控えめに言って悪くない)配列だといえます。
それに加えて負荷が大きいとされる下段の中でも例外的によく使うキーは[N]キ-です。
これは右手人差し指で打つのが常道ですので、右利きか左利きかで差はあるにしても、まずは打ちやすい配置といえますね。
そして、
最後の決め手です。
「ローマ字入力なら、「かな」の配置がアルファベット領域に収まっている」と。
なるほど。
まじめな話、これで十分じゃないんでしょうか。
「かな」の配置がアルファベット領域に収まっていて、極端に小指を酷使するわけではないし、拗音の入力に5打鍵も6打鍵も要するわけじゃない。もちろん手元を見ずにタイピングすることもぜんぜん難しくない。
ふつうに使う分にはまったく問題ない、ですよね。
何が言いたいかというと、日本語入力方式のひとつとして、ローマ字入力なら閾値とも言える合格ライン、モニターの例でいえば1000ラインに達していると言えると思うんです。
そのうえで3000とか4000ラインの‟究極の”「かな」配列を苦労してマスターしたところで、それに見合う価値を体感できるかとなると、なかなかむずかしいのじゃないかなあ、という気がします。そこに労力を割くくらいだったらむしろローマ字入力のままで質の良いキーボードを使ったほうが、得られる満足感は大きいように思います。
同意しますけど、ほんとうに親指シフターなんですかあ? 怪しくなってきましたね。じゃあ、「かな」の使用頻度を研究しても意味はないっていうことですか?
正統派NICOLAユーザーではないですが、親指シフターのはしくれではあると思っています。
でもって、「かな」の使用頻度を研究することに、もちろん意味はありますよ。
「かな」の使用頻度を考えた配列のほうが、そうでない配列より相対的に打ちやすくなる、
のは確かだと思います。
それを前提にして、の話ですが
ついに親指シフターのはしくれとして、禁句を言ってしまいます。
「かな」の使用頻度
「かな」の使用頻度って、キョクロン幻想ですね。
平均的に使われることの多い「かな」って、いったい誰にとっての平均なんですかっていう話です。
たとえば「ピューリタン革命とマニュファクチュア」という、とってもクールな論文をこれから書こうという人にとっては、
「かな」の使用頻度なんて
〇〇喰らえ
みたいな話ですよね。
お下品。
ようするに平均的に使用頻度が高い「かな」やフレーズだと打ちやすいけれど、使用頻度が低い「かな」やフレーズになったとたん打ちにくくなったり、極端に打鍵数が増えたりする配列って、どうなのよ、って思うわけです。
ローマ字入力ではひとつの語句、フレーズを入力するとき、使用頻度によって打ちやすさにバラツキが生じない、キーストローク数に極端な差が出ないという面があると思うんです。あまり指摘されることはないけれど、この点もローマ字入力が受け入れられた理由じゃないあかなあと思いますね。
なので、配列が一定のレベルに達していればそれ以上のものを追求しても得られるものは少ないんじゃね、という意味で「閾値」の話を出しました。
結局ローマ字入力でよかったのか
現在のローマ字入力は「鉄板」になってしまった、という既成事実によってますます「鉄板化」してしまった、という感じですね。
ミツイさんは親指シフターなのにローマ字入力を高く評価しているんですね。
ローマ字入力に大きな不満はない、ふつうに使うにはぜんぜん問題ないよね、と言っているだけで、ローマ字入力そのものをとても高く評価している、というわけではないです。
でも個人的な評価はべつとして、多くの人が安心して日本語入力できて、結果として日本語入力の共通のルールが出来あがったのはすごくいいことだと考えています。同時にそれは日本の社会が欲したことだと思うんです。
「かな」配列が乱立していた1980年代
1980年代は面白い時代で、日立のような大企業(傘下の研究機関)が「かな」配列の研究・実験を本格的に行っていたり、TRONプロジェクトの一環としてのTRONキーボード(配列)や、中指シフト方式「花」*、みたいな個人の考案したキーボードやマニアックな配列が、本屋さんに並ぶ月刊誌などで取り上げられたりしていました。(*「花」とは、代替ローマ字入力とでも言うべき入力方式ですが、月じゃないです)
現在では考えられないですね。
でもそれは逆にいうと、日本語入力がこれから先どうなるかわからない不安定の時代の裏返しでもあったと思うんですよ。
1980年代後半、JIS86配列を巡る一連の過程はなによりも「政治」が前面に出て、国家や大企業によるメンツの争い、一般の使い手は置き去りにされてしまった側面があったように思います。
結果として、これこそが日本語入力の標準であるとして国家が担保したはずのJIS86配列が市場から拒絶され、親指シフトは先行きどうなるかわからず、現行JIS「かな」配列はとりあえず残ったものの、そもそも現行のJISがよくないとしてJIS86配列が制定されたのであるから、やっぱり先行きは不安で……。
あの当時、日本語入力に対して社会が求めたものは何よりも「安心」だったと思います。
そして改めて注目されたのがローマ字入力だったはずです。
1874年、商業的に成功した初のタイプライタ「Remington No.1」に採用されたのが「QWERTY配列」だとされていますから、日本語キーボードとは歴史の重みが違いますし、何よりも世界標準です。
ローマ字入力がここまで広く普及した背景にはもともとパソコンではローマ字入力がメインだったから、とか、開発する側にとっても都合がよかったからという事情もあったと思います。でもそれと同時に、社会が「安心」を求めた結果ローマ字入力にたどり着いたのだとも思っています。
拠りどころになったのは言うまでもなく、刻印ですね。キートップの刻印を軽視するような意見をネット上ではときおり見かけることがありますが、刻印はいわば社会インフラです。世界に通用する社会インフラ、アルファベットの刻印にそっくり乗ることができるローマ字入力は、不安定な「かな」配列より圧倒的に安心感が高かったんじゃないでしょうか。
そして共通の入力方式としてローマ字入力という確立したものがあれば、そもそも余計な手続きが不要になります。
たとえば「かな」入力する人が会社で共有のパソコンを使ったら、後の人のために設定を戻すのがルールです。ただそれだけのことで、余計な手続きが発生してしまいます。
でも誰もがローマ字入力を覚え、余計な手続きが不要になれば余計な説明も不要になる、余計な説明が不要になるから会社内において余計なコストも大きく下がる、という好循環が生まれます。こういう正のサイクルを経てローマ字入力は鉄板になったわけですね。
頭のてっぺんから爪先まで完璧な人がいないように、ローマ字入力ですべてよかったとは思いません。
それを前提にしてなお、日本の社会が日本語入力の標準をローマ字入力に据えたのは、ある意味で最適解を選択したのではないかなあと考えています。
わかりやすく、汎用性がたかく、何よりも安心できること。
まとめ
ということで
「私はこのままローマ字入力でも大丈夫なんだろうか」
「気がついたら周りの人間すべて親指シフターになっていて、自分一人だけひとり世間から取り残されるようなことはないだろうか」
と、不安におののき、夜も眠れない日々を送っておられる方がた。
大丈夫です。
ローマ字入力は安泰です。
音声入力とか思考読み取り入力とかが進化してタイピング自体を駆逐する時代がこないかぎり、ローマ字入力一択でまちがいありません。
それでは皆様、
ハッピーなローマ字入力ライフを。
ごきげんよう。
そういうサイトだったんですか? ここは親指シフトのサイトじゃなかったんですか?
すっかり忘れてました。
いやあ親指シフト、じつにいいんですよ。
は?
日本の社会がローマ字入力を選択したのはまちがいじゃないと思いますし、私自身もローマ字入力でまったく問題なく仕事をしてきたつもりです。
でも現状、個人的には親指シフト一択ですね。
わけわかりませんけど。
じゃあ次に書く記事のタイトルは、
「それでもローマ字入力しないシンプルな理由」にしましょうか。
期待してまーす。
ほんとですか?
ほかに期待している人いないかも、なので。
なるほどですね。